子供の夏休み留学 サマースクール・サマーキャンプ 小学生留学 中学生留学
Copyright (C) 2008 Ryugaku-toshokan. All rights reserved.
▲このページのトップへ
Style 2005年2月号
オーダーメイド留学をコーディネートする
「留学図書館」代表平川理恵
自分を見つめ直し、人生をゼロシャッフルしたいときに
留学はいいきっかけになると思う。
就職して3〜4年。仕事にも職場の人間関係にもすっかり慣れたころ、こんな言葉がふと頭をよぎることはないだろうか。
「わたしが本当にやりたかったことって、何だろう?」
「私、今のままでいいの?」
と、自分の人生をあらためて見つめ直したときに、海外留学を考える人は少なくないのではないだろうか。そんな人たちの心強い味方が、留学のコーディネートをしてくれる「留学図書館」。その代表を務めるのが、平川理恵さんである。
オープンして5年。綿密なカウンセリングによって、各々のニーズにもっとも合ったプランを提案する、「オーダーメイド留学」が好評だ。
「留学によって自分の新たな一面を発見したり、本来の生き方が見つかるかもしれない。自分を見つめ直し、人生をゼロシャッフルしたいと思ったとき、留学はいいきっかけになると思います。だからこそ、みなさんには、行ってよかったと思えるような留学をしてほしいんです」
留学図書館には、イギリス、アメリカ、オーストラリアなど英語圏を中心に3500校以上の大学や大学院、語学学校のデータが揃う。そのうち2000校以上は平川さん自身が赴き、自らの目と足で得た情報。現在も1〜2ヶ月に一度は海外に飛んでいる。そんな平川さんだが、実は学生時代は英語が大嫌いで、大学では、国文科を専攻していた。重症の英語アレルギーだった平川さんが、今では英語を使いこなし、世界中を飛び回っている。そこにはいったどんないきさつがあったのだろうか。
国際感覚を身につけるため
平川さんは大学卒業後リクルートに入社。就職・転職雑誌の営業を担当していた。
「男女の別なく働ける会社で、やればやっただけ評価される。営業は結果として数字が出るので、数字が上がればその分発言力も大きくなります。上司に恵まれたこともあって、数字は順調に上がっていき、入社4年後にはかなり仕事がしやすくなっていました。だから職場にも仕事にも不満はまったくなかったんです」
しかし、仕事が順調にこなせるようになり、気持ちにも少し余裕ができてくると、誰しもあれこれ考えることがでてくるもの。平川さんもそうだった。
「仕事は面白かったけど、それが本当に自分のやりたいことなのか、ほかに何かやりたいことがあるんじゃないかと思い始めました。そんなある日、とあるメーカーの社長の方の話に心を動かされたんです。当時はバブルがはじけて、どの会社も『これからは国際化の時代だ』といっていたのですが、彼のいう国際化というのは『地球規模の経営』。そのダイナミックな話を聞いたら、感動してしまって。私も、この人のようになりたい!と思ったんです」
彼のようになるためには、国際感覚を身につけなければいけない。そう考えたとき平川さんの頭には、『留学』の2文字が浮かんだ。
「行き先はどこでもよかったんです。旅行会社に電話をして、航空券がいちばん安いところを聞いたら、サンフランシスコだといわれたので、土日をくっつけて計4日間休みを取り、サンフランシスコに行ってきました。英語嫌いのわたしがアメリカに行こうと思うなんて、人生、わからないものですね」
サンフランシスコ周辺はUCバークレーやスタンフォードなどの有名校をはじめ、大学がたくさんある。平川さんは、めぼしい大学を訪ねて回り、教室に入っていっては、授業を見学させてもらった。もちろん英語がわからないので先生の話も生徒のいっていることも、さっぱりわからない。
「でも、雰囲気がよかったんです。先生と生徒が対等に話をいていて楽しそう。留学への気持ちがぐぐっと高まりましたね。そこで、大学の事務局に行き、どうすれば留学できるか聞くと、『ユー・ニード・トッフル』という。本当にお恥ずかしい話なんですが、当時の私はTOEFLなんて言葉は聞いたこともなかった。すると相手はゆっくり『イングリッシュ・テスト』って(笑)。そこで帰国後、さっそくTOEFLの試験を受けたんですが、結果はさんざん。いくら目標が高くても、現実はこれかとガッカリしました。でも、やって損はないだろうと思い、英語の勉強を始めたんです。そうすれば、英語に対するコンプレックスも解消できるんじゃないかなと」
平川さん、26歳の決意である。まずは、毎晩のように一緒に飲みに行っていた同僚に、『もう行かない』と宣言。何事が起きたのかと周囲は驚いたが、公言すれば、もう後戻りはできないだろうという思いがあった。
それからは猛勉強の日々。TOEFLの塾のある日は、午後7時には仕事を中断して塾に行く。授業が終わると会社に戻り、残りの仕事を片づける。そして帰宅し、さらに午前3時頃まで勉強した。
「忙しい会社だったので、課内の会議が夜7時から始まるんですね。でも、それでは塾に行けないから上司に『この曜日は学校に行くので、会議を入れないでください』って直訴したんです。すごい熱意?いえ、ただ厚かましいだけ(笑)。でも、いってみるものですよね。上司は私のわがままを聞いてくれました。途中、私は体質的に英語が合わないんじゃないか、もうやめてしまおうと思ったことが何度かありました。でも、2年勉強し続けると、少しずつ点数が上がってくる。そしてちょうど500点を越えたころ、会社に留学制度があることを知ったんです」
猛勉強の甲斐があって、会社派遣留学の試験は1度でパスした。留学は翌年からとなっていたので、1年間猶予がある。その間にもっと勉強をして、TOEFLの点数を上げたい。具体的な目標が決まった平川さんはさらにエンジンがかかり、点数は600点までアップ。大学院に行けるまでの力がついた。次なる問題は、留学をして何を勉強するか。
「そもそも私が留学しようと思ったのは、例の社長のような人になりたい、英語がしゃべれるようになりたい、というそれだけの理由からで(笑)。勉強するのは何でもよかった。これまで自分がしてきた仕事を考えると、広告学かMBA取得かなあと考え、再度アメリカの大学へ下見に行きました。広告のクラスは刺激的でしたが、TOEFLの勉強で四苦八苦していた私に、英語で書かれたコピーのどこがいいかなんてさっぱりわからない。授業を取っている学生も先鋭的でアクの強い人ばかりだったので、こりゃついていけないわと(笑)。対して、MBAのクラスには社会経験が豊富で人間的にも懐の深い大人が集まっている。ここなら勉強しやすいだろうと思ったんです」
そして、最終的に南カリフォルニア大学に1年間、留学することを決めた。30歳になっていた平川さんは、希望に胸をふくらませて成田を飛び立った。
ところが、授業が始まってすぐ、大きな壁にぶち当たる。なんと1学期の間に読まなければならない本が、積み上げると天井まで届く程あるのだ。当然ながら日本語は一字たりとも書かれておらず、授業もネイティブの英語でどんどん進んでいく。先生の質問には答えられないし、そもそも何を聞かれているのかすらわからない。授業についていくのに必死で、まさに勉強漬けの日々だった。
毎日、学校が終わって7時頃に帰り、夕食を済ませてすぐに復習、予習。12時すぎにベッドに入り、朝4時に起きて、前日読み切れなかったところを読んでから学校に行くという生活。滞在していたアパートメントの目の前にはビーチが広がっていたが、浜に下りたのは、ほんの数回だったという。幸いクラスメイトに恵まれ、お互いに励まし合いながら、ハードな毎日を何とか乗り越え、無事卒業。しかし帰国後のことは何も考えていなかった・・・・・。
留学によって自分のものさしを手に入れた
「そもそも転職や起業をしたくて留学したわけではなく、帰国後も会社を辞めるつもりはなかったんですね。だから卒業式の1週間後には働いていました」
そしてまた、以前と変わらぬ忙しい日々。しかし、平川さんの中では確実な変化があった。
「それまでの私には、物事に対して自分なりのものさし、つまり判断基準がまったくなかったので、他人のものさしに頼るしかたかったんです。たとえばAとBとどっちがいい?と聞かれても答えることができない。これでは、仕事を続けていくにせよ、結婚をして専業主婦になるにせよ、人間としてよくないと思って。たとえば自分の子供に『ママ、どっちがいいの?』と聞かれて『わからない』では困るでしょ(笑)。そんな自分のダメさには学生時代から気づいていて、何とか自分なりのものさしを持ちたいと思っていたんですね。留学はそのきっかけになりました」
周囲に知っている人は誰もいない、言葉はわからない。でも行きていかなくてはならないから、否が応でも自分で物事を見極め、判断するようになる。もちろん失敗もするが、いちいちへこたれていたら、生活していけない。そのうち、自分には何が必要か、自分は何が好きでどんなふうにしたら楽しく生きられるか、ということがわかるようになったのだという。
「考えてみれば、日本にいる限り『自分の手でゼロから始める』という経験はほとんどないですよね。自分のものさしなんてなくてもそこそこやっていけるし、そもそも忙しくて、自分のことを考える時間もなかった。そう考えると、一度日本を離れ、未知の背かいい飛び込んでいくことは、自分を見つめ直すいいきっかけになると思うんです」
だから、留学したいという人には「ぜひ」と勧め、相談にのった。平川さんは、相手のそれまでのキャリアを生かしつつ、将来にもつながるような留学プランを考え、アドバイス。すると、留学あっせん会社の「正規留学か語学留学か」「TOEFLは何点か」といった紋切り型の対応に不満を抱いていた相談者は大喜び。すると評判は評判を読んで、次々と相談が舞い込むようになったという。
「私は一度相談を受けたらとことん面倒をみたい。留学っていいよ、言ってくれば?でも方法は自分で考えてね、というだけでは無責任でしょう。でも、会社に勤めていると思うように相談の時間が取れない。そこで、やむなく会社を辞めたんです。留学前にはずいぶんわがままをさせてもらったし、会社には本当に恩義を感じていました。でも、留学相談のほうも面白くなってきたので、中途半端なことはしたうないと思って」
退職にあたっては、留学の際に会社に負担してもらった経費を返済。それは退職金と相殺したため、平川さんの手元に残ったのはわずかだった。しかも会社を辞めれば、もちろん給料は一線も入ってこない。不安がなかったといえばウソになるが、食べられなくなったらまたどこかに勤めればいいと、平川さんはいたって楽観的だった。それも、自分のやりたいことがわかっていて、「やるなら今しかない」と思っていたからだ。
退職後、3ヶ月ほど海外で資料を集め、学校を見学した後、東京・自由が丘に1LDKのマンションを借りて「留学図書館」を設立。貯金は法人化に必要な資金とさしあたっての運営費で瞬く間になくなった。しかし、不安を感じる間もなく半年で会社は黒字に転換した。
「それだけニーズがあったということなのでしょうね。別にマーケットリサーチをしたわけでも戦略があったわけでもなく、ただ自分が『あったらいいな』と思う場所を提供しただけ。そして、みなさんにはぜひ自分のプラスになるような留学をしてほしいから、そのためのアドバイスをしているだけなんです」
一昨年、オフィスを一軒家に移しスタッフも16人になった。ウェブでも相談を受け付けていて、現在、会員数は約5000人。遠くは北海道や九州から訪ねてくる人もいるという。そんな人たちからの「留学して本当によかった」「人生が明るくなった」という声が平川さんの原動力だ。図書館の運営は順調だが、こうしたい、ああしたいということはたくさんある。それは規模の拡大ということではなく、「オーダーメイド留学という点でのナンバー1、いやオンリ−1でありたい」という思いだ。
平川さんのこれまでを見ると、つねに明確な目的があり、それに向かってまっしぐらに突き進んでいく。そのパワーで人生を切り開いてきたように感じられるが、本人は「とんでもない!」と、かぶりを振る。
「私には自分の判断基準がなかったから迷ってばかり。それで何も決められないからとりあえず動いてみて、ダメだったら次の手を考える。その連続です。ただ、ひとついえるのは物事はやるか、やらないか。前に進みたいと思ったらとりあえずやってみればいい。留学や転職、結婚や出産など女性には人生の岐路がたくさんある。でも先のことを考えすぎると、一歩も動けない。だから迷いながらも走り出した方がいいと思うんです。進むべき道は走っているうちに開けてきますから」
走り続ければ、もちろん息切れもする。そんなとき平川さんの心を和ませてくれるのは、家族と過ごす時間だ。
「結婚も子供も、『はからずも』です(笑)。ね、走っていれば人生、なんとかなるもんです」
→次の記事へ
→マスコミ取材記事一覧に戻る